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【弘美3章-1】 入学式  ラフレシア島

 聖ラフレシア女学院が建つ絶海の孤島、通称「ラフレシア島」。日本列島と大陸の間の海に浮かぶこの島に人跡が標されたのは意外に古く、江戸時代初期にまで遡る。とはいえ、人が定着したことはなく、アシカ漁を生業とする漁師が、その拠点として利用し始めたのが初めとされている。
 周囲には岩礁が多く、海底も上下の起伏に富んだ複雑な地形をしていることから、潮流が複雑に絡み合い、島近辺の海を熟知した人間でなければ、近付くことさえ困難な海の難所である。実際、誤って島に近付き過ぎ、複雑な潮目に翻弄され、波に隠れた岩礁を避け切れず難破してしまった船と、帰って来なかった漁師たちの話は探す必要もないほどだ。
 1868年、日本が明治維新を迎えてもこの島は全く変わらなかった。相変わらず島に来訪する人間は一部の漁師を除いては存在せず、面積10平方キロメートルほどの島を訪れるのは、海鳥たちを除いてはアシカくらいのものだった。
 島に第一の転機が訪れたのは、1892年のことだった。植物学者として世界に名を知られ始めたばかりの牧野博士がこの島を訪れ、島の植物の採集、調査を行ったところ、それまで知られていなかった新種の植物が多数発見されたのだ。
 その中に、主に亜熱帯地方に分布していると見られていたラフレシア科の新種の植物が含まれていた。そのラフレシア科の植物は、世界最大とよく言われる花の大きさこそ少し小さ目であったが、ラフレシア科の他のどの花よりも鮮やかな赤色をしていた。
 島の隔絶された地理条件が、古来より受け継がれた島独自の生態系を守っていたのだろう。新たに発見された新種の植物は多数に登り、牧野博士がこの成果を学会に発表すると、この無人の小さな島は、一躍世界の学者の注目を浴びるようになった。世界の植物学者はこぞってこの島に研究目的で訪れることを望んだが、時代がそれを許さなかった。
 当時、アジアは激動の時代を迎えており、絶えず紛争が繰り返されていた。大陸との中間近くに位置するこの島は否応無しにその時代の激流に巻き込まれていったのだ。1894年に始まった日清戦争、1904年に始まった日露戦争を経、1910年に朝鮮が日本に併合されるに及び、隠岐諸島、竹島群島と並んで、この島も日本の大陸侵攻の拠点の一つとなることを求められるようになった。しかし、岩礁や複雑な潮流など、地理的な困難性のため、位置的な重要性は指摘されながらも、この島に重要な軍事施設が設置されることは長く行われなかった。
 島に第二の転機が訪れたのは、1932年のことだった。陸軍参謀本部防疫給水部の研究所が設置されたのだ。陸軍参謀本部防疫給水部は、当時、新宿に本部を置いた陸軍の特殊部局で、表向きは各種流行性伝染病予防と兵員用の飲料水の水質浄化を目的として設立された日本帝国陸軍の研究部門だ。しかし、その実態は旧日本軍のBC戦(生物・化学兵器)研究機関だった。
 島に設置された研究施設は、当時の科学技術の粋を極めたものだった。さらには日本各地の研究機関から非常命令として優秀な研究者が招集され、日夜研究に励むことを強いられたのだ。
 そして、この島の研究施設を中核として、日本帝国関東軍の駐屯地に設置された各部隊、満州の731部隊、北京の甲1855部隊、南京の栄1644部隊、広東の波8604部隊、シンガポールの岡9420部隊などに指令が出され、BC兵器の研究開発が進められた。さらに国内各研究機関のバックアップの元で広大なネットワークを構築し、日本の戦前におけるBC戦術の組織的な研究・開発が推進されたのだ。
 この世界でも未曾有のBC戦術の組織的な研究・開発を提案し、実行したのが石井四郎少佐だった。石井は当時、関東軍の作戦課長を勤めていた石原莞爾中佐の「世界最終戦論」に共鳴し、彼の壮大な戦略の一環として、BC戦術の研究・開発を遂行していったのだ。そして、機密保持の必要性から、この島には「ラフレシア島」というコードネームが付けられ、以降、この島は関係者からラフレシア島と呼ばれることになる。
 日本軍の満州侵攻に伴い、ラフレシア島での研究成果は順調に実を結び、大陸に駐屯する関東軍の伝性病予防や治療、衛生管理などに絶大な効果を上げていった。その大きな成果を上げるため、ラフレシア島ではあらゆる医学的実験が行われた。特に実際に生きた人間を使用した人体実験が何の躊躇もなく実行され、その結果、ラフレシア島における医療技術は、世界のはるか最先端をいくレベルにまで昇華されていた。
 当時、ラフレシア島で行われていた人体実験としては、以下のような例が伝わっている。
・ 捕虜に汚水を飲ませ、病気になる様子を観察する実験。汚水としては、腐った水から、工業的に汚染された水、そして、尿まで含まれていたという。
・ 真空実験。ガラス製の巨大な容器に捕虜を閉じ込め、中の空気を徐々に抜いていく。主に高山地帯での軍事作戦での薄い空気が人体に与える影響を検討するために行われた。中に入れられた捕虜たちは、だんだんと空気が薄くなっていくに連れ、喉を掻き毟り、沸騰する血液に目を血走らせながら死んでいったという。
・ 凍傷実験。身体を固定されたままわざと冷水をかけられて放置され、凍傷になった部位に、様々な温度の湯をかけていく。いきなり熱湯をかけると組織が崩れるが、徐々に水温を上げていくと、組織が破壊されることなく回復することを検証した。
・ 火傷治療の実験。火で身体を焼き、様々な治療薬を治験した。
・ ロボトミー実験(前頭葉摘出実験)。前頭葉のどの部分を摘出することで人間の機能・意志を操ることができるかが、実際に生きている人間を使って実験された。
 この他にも、ありとあらゆる人体実験が繰り返された。大陸で捕縛された捕虜たちが、人体実験の生贄として大量に連行され、無残な生体実験のモルモットとされ、苦痛にもがき苦しみながら命を落としていった。不幸な運命を強制された捕虜たちはマルタと呼ばれ、全ての人権を剥奪された上、名前まで奪われ、惨たらしい人体実験の生贄として犠牲になるまでの短い間、5桁の数字で管理されていた。
 それでも、それらの行為は、倫理的には許されない行為だったとしても、人体実験を遂行する研究者たちは、純粋に日本の国のためと信じ、おぞましい研究を行っていた。彼ら研究者たちは、強制的にラフレシア島に連れて来られ、非道徳的な人体実験に従事されていたが、国のため、医療の発展のためという大義名分を信じ、高いモチベーションを保ちつつ研究に邁進していたのだ。
 それがどうにもおかしい様子を見せ始めたのは、1937年、それまで石井を全面的にバックアップしていた石原莞爾少将が失脚してからだった。石原という後ろ盾を失った石井は、失脚することこそなかったものの、組織の運営に重大な支障をきたし始めたことに危機感を募らせ、急速に軍幹部や政治家への接近を図っていった。
 まず試みられたのは、研究施設を視察に訪れる軍幹部や政治家らに対する性接待だった。元々、ラフレシア島には、日本全国から集められ研究に専念する医学者たちを慰労するため、慰安所が設けられていた。そこで働く娼婦たちは、そのほとんどが東北などの貧しい農家に生まれた少女たちだった。彼女たちは極貧の両親たちから、僅かな支度金と引き換えに軍に売り渡され、機密保持のため一生開放されることなく、ラフレシア島で働く職員たちに性で奉仕することを強要される存在だった。石井四郎はこの少女娼婦たちに目をつけたのだ。
 幼い娼婦たちは慰安所で過酷な性労働を強いられ、辛い生活を送っていたが、それでも職員に奉仕していた間は少なくとも人間として扱われていた。もちろん少女娼婦たちに性奉仕を拒む自由などはなかったが、少女たちを抱く職員たちも彼女たちを女性として扱い、無理なことを強制することも稀だった。
 しかし、島を視察に訪れた傲岸な軍幹部や政治家たちは、そのような優しさや寛容、遠慮といった美徳とは無縁だった。彼らは少女娼婦たちを当然のごとく性奴隷として扱い、恥辱と苦痛に満ちた過酷な性奉仕を強要した。正常な性交だけではなく、口吻、浣腸、肛門性交、鞭打ち、輪姦などの非道な行為が平然として行われ、軍幹部や政治家たちは、日本本土と隔絶した絶海の孤島での背徳の快楽に酔い痴れ、欲望の趣くままに少女たちを陵辱し、蹂躙していった。
 ラフレシア島がさらなる地獄に移行する転機となったのは、視察に訪れたある貴族院議員に籍を置く、ある政治家の一言からだった。その政治家は、少女娼婦を膝に乗せ、猛根を菊蕾深くに突き入れ、少女の幼い乳房を揉み潰しながら、「人体実験をこの目で見たい」と言ったのだ。
 石井四郎は逡巡しながらも、人体実験を公開で行うことを承諾した。翌日、その政治家の前で行われた人体実験は火傷治療実験だった。裸で椅子に拘禁された男の腕にタールが塗られ、火が点けられる。生きながら肉を焼かれる苦痛に絶叫し、激しく悶える男の姿を見たその政治家の興奮は凄まじかった。本来であれば火傷した箇所に新たに開発された新薬を塗布し、その効能を確認することが目的であったのだが、その政治家は口から泡を飛ばしながらさらに別の箇所を焼くことを要求した。結局、その政治家の欲望を満たすためだけに、身体の十箇所以上を焼かれたその男は、新薬を塗布されることなく、苦しみながら息絶えた。
 人体実験の生贄となった男の、苦しみながら悶え死ぬ様に欲望を昂ぶらせた政治家は、その後、少女娼婦を呼び、苛烈なまでに責め苛んだ。哀れな少女は泡を吹いて悶絶するまで激しく陵辱され、恥辱と苦痛に一晩中泣き悶えるのだった。
 その夜から、軍幹部や政治家たちに対する饗応として、人体実験が行われることは、ラフレシア島の通例となった。全裸の少女に口淫させながら、または少女を犯しながら見物する、ラフレシア島を訪れた権力者たちの眼前で、生贄の男たちが皮膚を焼かれ、肉を引き裂かれ、骨を砕かれて、苦しみ悶えながら命を失っていった。
 人体実験に偽装した恐ろしい拷問を目前に見せ付けられ、恐怖に怯えながら奉仕する少女娼婦たちを、権力者たちは冷酷に弄び、凄まじいまでの陵辱を繰り返した。人体実験を受けて捕虜たちが気絶するのと同様に、陵辱される少女たちも一晩に何回も意識を失うまで責め苛まれ、恐怖と恥辱と苦痛に泣き叫んだ。
 そのような非人道的な行為に耽る嗜虐の悪魔たちの欲望が暴走し、求める鬼畜の所業が益々エスカレートしていくのは自然の流れであった。彼らは石井四郎に女性、それも美しい少女に対する拷問と人体実験を要求した。
 意外かも知れないが、それまで、ラフレシア島における人体実験の被験者は全て男性であった。それも考えてみれば当然で、そもそも、ラフレシア島における研究所の目的は、大陸に侵攻する軍隊の、各種流行性伝染病予防と傷病の治療法の開発、および大陸の敵兵に対するBC戦兵器の研究開発だったのだ。とするならば、傷病治療や対人兵器の対象は兵隊、すなわち男性に限られていたのだ。
 鬼畜な権力者たちの意を受け、権力を与えられた石井四郎率いるラフレシア島の研究所には、朝鮮や満州、中国、マレーシア、シンガポール、インドなど、日本軍が侵攻した大陸各所で虜囚とされた美しい少女たちが、続々と連行されて来た。中には、ある女学校が日本帝国軍に急襲され、全女生徒が捕虜となった挙句、容貌に優れた50人ほどが選抜され、ラフレシア島に連行されるという事件まで起された。その時、選抜されなかった少女たちは、全員が口封じのため女学校を襲った兵隊たちに輪姦され、陵辱されながら血と涙と精液にまみれて惨殺されたという。
 日本帝国軍に襲われ、その場で惨殺された少女たちは、まだ幸福であったかも知れない。ラフレシア島に連行された不幸な虜囚の少女たちは、視察の名目で訪れた日本軍幹部や政治家たちの目の前で全裸に剥かれ、死にたくても死ぬことを許されず、凄惨な性拷問と陵辱に泣き叫び続けた。さらには、淫らな生体実験の生贄として、幼い裸体を苦痛と恥辱に震わせながら命を落としていくのだった。
 ラフレシア島の女体地獄の幕開けである。
 ラフレシア島に連行された少女たちは、その全てが12才から18才までの美しい処女ばかりだった。理由はいくつか挙げられていた。一つ、処女であれば性病を初めとする病気に侵されている可能性が低く、生体実験の被験者として適当である。一つ、若い女性の方が体力があり、様々な実験に長期間耐えることができる。一つ、ある程度被験者の条件をそろえることで、正確な比較実験が可能となり、研究の発展に寄与することができる、などである。
 それなりにもっともらしい理由がつけられていたが、結局は権力者たちの黒い欲望を満たすための方便でしかなかった。ラフレシア島に強制連行された幼い少女たちは、容貌やスタイルによって、甲、乙、丙の三等級に分類されて管理され、石井四郎の独断により、権力者たちへの性接待に供与されるのだった。
 このうち、甲に分類された最上級の美少女は、石井が最も重要と判断した権力者のみへの性接待に提供され、普段は幽閉されているものの、特段に酷い扱いを受けることはなかった。しかし、乙と丙に分類された少女たちは、性接待だけではなく、研究所の人体実験や、研究者、職員に対する慰安にも使役され、過酷な拷問と陵辱に泣き、のたうちながら、恥辱と苦痛にまみれて幼い命を散らせていった。
 主に乙および丙の少女たちに行われた淫媚な人体実験としては、以下のようなものが伝わっている。
・ 媚薬開発実験。あらゆる媚薬が条件や分量を変えて少女らに投与され、効能を確認するという名目で過酷な陵辱を続けられた。三日以上連続で無理やり絶頂に追いまくられ続けた少女の中には、発狂してしまった者もいたという。
・ 柔軟実験。人間の間接の可動域を確認すると同時に、柔軟性の限界を検証するための実験。少女を全裸にして様々な体位を取らせ、限界を超えて少女の身体を折り曲げ、引き伸ばして少女の苦痛に歪む顔を楽しみ、苦悶に悶える少女の女体の快楽を貪った。実験の生贄にされた少女たちは、激痛に泣き叫び、肩や股の関節が外れるまで許されることはなかったという。
・ 浣腸実験。様々な薬液が浣腸液として試され、哀れな少女たちを恥辱と苦痛の地獄に叩き落した。その実験は、腸壁が糜爛し、鮮血を噴出すまで終了することはなかった。菊蕾に何リットルの液体が注入できるかの検証実験にかけられた少女の中には、あまりに大量の液体を腸腔に注入されたため、浣腸液が腸管から胃や食道へと逆流してしまい、口から糞便まみれの浣腸液を噴出させながら悶死した生贄も存在したという。また、酸やアルカリなどの劇薬を浣腸され、激痛に泣き狂いながら幼い命を散らせていった少女も少なくなかったという。
・ 通電実験。電流を少女の身体の各所に流し、電流の身体に与える影響を検証するという名目で、美少女が激痛に悶え絶叫する様を楽しんだ。少女の身体が通電により激しく痙攣し、のたうつ様子が嗜虐の権力者たちの歓心を買い、性接待においては最も人気のあるメニューだったという。
・ 獣姦実験。様々な犬、猿、ゴリラ、ヤギ、馬などの哺乳類の他、蛇やトカゲなどの爬虫類まで用意され、少女たちの身体に用いられた。獣姦実験は少女たちの生理的嫌悪感を最も刺激するおぞましい拷問であったため、舌を噛み切って自殺する少女が後を絶たず、獣姦実験を行う場合には、必ず猿轡を噛ましてから行うことがルールとされた。これまた、権力者たちに人気の高い実験メニューであったという。
・ 輪姦実験。兵士や職員たちに連続で輪姦させた。死ぬまでに何十人の輪姦に耐えられるかや、複数の少女を同時に輪姦にかけ、誰が先に死ぬかのが権力者たちの賭けの対象とされたという。
 その他にも、人工授精実験や、妊娠させた少女に対する人工堕胎実験、さらには、究極の鬼畜の行為として、生きたままの生体解剖、それも麻酔をかけない少女に対する生体解剖が行われることもしばしばであったと伝えられている。
 当時、石井四郎が提供した性接待の中で、最も重要と認められた政府要人に対してのみ提供された性接待フルコースは次のようなものだった。
 まず、甲に分類された美少女が美しく着飾られ、顔に薄く化粧まで施されて登場し、要人の前で恥辱に満ちたストリップを強要される。この時、生贄の少女の身を飾る衣装には、わざわざ少女の出身の国の民族衣装が取り寄せられ、使用されるケースが多かった。
 顔を朱に染めながら全裸となった美少女の可憐な乳房や花芯、菊蕾などを無残に嬲りながら、場合によっては無理やりに口淫させながら、乙または丙に分類された少女に対する、残酷な人体実験や、過酷な性拷問を見物する。この時、哀れな美少女の敏感な性器を惨く嬲りながらも、その時点ではまだ処女は奪わない。
 乙または丙の少女が、涙と鮮血を流しながら、鮮血と精液に塗れ、恥辱と苦痛に泣き叫びながら幼い命を散らした後、今度は甲の美少女に対する性拷問が始まるのだ。その時の要人の嗜好にもよるが、様々な拷問機器や淫虐の道具が使用される性拷問により、存分に美少女の涙と鮮血を搾り取り、叫びのたうつ幼い少女の肢体を堪能してから、残酷な処女破瓜が行われるのだった。
 処女破瓜が行われた後、菊蕾、口腔、場合によっては耳や目、鼻の穴など、少女の全ての孔に対するさらに過酷な陵辱が実施される。また、乳房、陰核、臀部など全ての性器に対する、ありとあらゆる凄惨な淫虐拷問が実施され、哀れな美少女は明け方近くまで狂い悶え、泣き叫ぶことを強要されるのだった。
 そして、性接待フルコースの最後の締めとして、美少女の生きたままの生体解剖という、鬼畜の所業が行われた。陰惨な性拷問と凄まじい凌虐に力なくうなだれ、涙を流す美少女が、全裸の身体を四肢を広げた状態で机上に厳しく固定され、猿轡を噛まされる。そして、ラフレシア島の悪魔の医師が、少女の身体を生きたまま解剖していくのだ。
 白い腹部を鋭利なメスで切り裂かれ、ピクピクと蠢く少女の内臓が取り出されていく。悪魔もひるむような凄惨な光景だが、嗜虐の欲望に執り付かれた要人たちは、魅入られたように美少女の内臓を凝視し、口の端から涎を垂らしながら男根をびくびくと歓喜に震わせるのだった。
 この時、要人の要望により少女に弱い麻酔がかけられることもあったが、ほとんどの場合は、麻酔なしで生体解剖が執り行われた。生きたまま、麻酔もかけられず裸身を切り刻まれ、内臓を取り出されていく激痛に、美少女は全身を脂汗に濡らし、涙を流しながら、猿轡に塞がれた口から悲鳴を漏らし、机に緊縛された不自由な身体を悶えさせるのだった。
 美少女の断末魔の苦鳴も足掻きも、時間と共に徐々に弱くなり、少女の生命力がどんどんと失われていく。しかし、ラフレシア島の高度な医療技術を身に付けた悪魔の医師たちは、決して最後まで少女を死なせることはなかった。少女の内臓は、生命の維持への重要度が低い順に取り出されていき、最後には、心臓と肺、そして子宮を残して全ての臓器が摘出され、少女の腹の中がほとんど空っぽの状態にまでされても、少女はまだ生きているのだ。
 最後にそれまで少女の生体解剖を見ていた要人が、その猛々しく屹立した猛根を少女のほとんど唯一残された内臓である子宮に突き入れ、荒々しく抽送する。中には、少女の空っぽに近い腹部に手を突っ込み、少女の子宮ごと男根を掴み、しごき上げて陵辱する強兵の権力者もいた。そして、瀕死の少女に対する激しい陵辱の末に、少女の子宮に多量の獣欲が放出されると、性接待を受ける要人は自らの手でメスを握り、少女の乳房を切り取り、膣と子宮を抉り取り、哀れな美少女を絶命に至らしめるのだ。
 ここまでの鬼畜の性接待は、年にそう何回も行われたわけではないが、噂を聞き付けた政財界や軍部の要人たちが、ラフレシア島への視察を石井に打診し、嗜虐の欲望を満たす性の接待をひっきりなしに要望するようになっていった。石井に対する鬼畜の性接待の要望が高まると共に、石井は昇進を繰り返し、石井に与えられる権限も際限なく増大を続けた。
 石井は、1938年8月、陸軍軍医大佐に、1941年3月、陸軍軍医少将に昇進し、終戦直前の1945年3月には、ついに52歳にして陸軍軍医中将に昇進した。軍神石井四郎中将の誕生である。京都大学医学部を首席で卒業した英才の、面目躍如たる出世劇であるというべきだろう。しかし、それでも出世欲の権化であった石井は、当時の軍医は中将までしか昇進できないことになっていることに強い不満を持ち、革新的な研究成果を欲していたとされている。そして、これがラフレシア島や、大陸各地での人体実験を伴う鬼畜の医療・BC兵器研究開発や、石原失脚後の過剰な性接待による軍幹部や政治家たちの取り込みに繋がったとも言われている。
 このような、石井によるラフレシア島研究施設の性接待施設化に対し、元々働いていた研究者や職員が影響されないわけがない。ラフレシア島の研究者や職員たちは、こぞって少女虜囚に対する淫靡で残虐な拷問、陵辱、人体実験に手を染めていくのだった。中には、少女たちを辱め、陵辱し、拷問するためだけの器具や装置、方法を日夜研究開発する研究者も現れ、そのような者たちのための部署まで新設される有様だった。
 少女たちに対する怪しく淫らな拷問の研究の中で、島に自生し名前の元となったラフレシアの花を原料として、ある薬が初めて精製されたのはこの頃だった。その薬は、精神安定剤や強心剤としての効能が高く、微弱の麻酔作用まで兼ね備えていた。そして、何よりも、女性に対する媚薬効果に優れた効能を発揮することが確認され、『ラフレッタ』と名付けられた。そのラフレッタが、少女たちに対する拷問に、すぐさま使用されたのは言うまでもない。
 かくして、ラフレシア島の日本帝国軍のBC兵器研究開発施設という本来の任務は、なくなりこそしなかったものの、その割合を減少させることになった。そして、ラフレシア島は、昼夜を問わず、美しい少女たちの阿鼻叫喚の悲鳴が轟く地獄の伏魔殿へとその容貌を変化させていくのだった。
 ラフレシア島が少女たちの絶叫と涙と鮮血を搾り出す悪魔の島に変貌してから数年、島には、日本帝国陸軍が展開した大陸の各所から連行された美少女たちの哀願と悲鳴の響かない日はなかった。島の研究施設では、朝鮮語、中国語、ヒンドゥー語、英語、など、世界各国の言葉で悲鳴が上がり、許しを請う言葉が叫ばれた。
 そんな島の鬼畜の様相がちょっとした変化を見せたのは、石井による軍幹部や政治家たちに対する性接待が始まって3年以上が過ぎ、太平洋戦争が開戦されてからだった。様々な言語で発せられる哀願と悲鳴の声に、それまで少数だった日本語が混じりだし、その割合が年々増大を続けるようになったのだ。
 当初、ラフレシア島で陵辱と性拷問、人体実験を受ける哀れな生贄は、そのほとんどが大陸各所で虜囚となった外国人の少女たちだった。しかし、1938年に国家総動員法が制定されてからは、国内の共産主義思想家やその支援者たちの妹や娘が連行され、おぞましい尋問や拷問を受け、さらには惨い陵辱を受けて泣き叫ぶようになった。さらに、1941年に治安維持法が改正、強化されると、取締りが強化されたこともあり、続々と何の罪もない日本人の少女たちが連行されてくるようになったのだ。
 特に、1941年、治安維持法の改正と同時に、ラフレシア島の研究施設に隣接して建設された「非健全思想子弟矯正収容所」は、日本人の少女専用の拷問陵辱用施設として使用され、いたいけな大和撫子たちの涙と絶叫と鮮血を大量に搾り取るのだった。
 ラフレシア島に新たに建設された「非健全思想子弟矯正収容所」、通称「矯正収容所」は、表向き、国を転覆させようと企む共産主義者たちの家族の思想を矯正し、お国のために働く人材に再教育するという名目で建設された。確かにその初期には、強制収容所に連行されて来る少女は、皆、共産主義者やテロリストたちの家族だけであった。そこで繰り広げられた尋問や拷問も、多分に性拷問的要素や陵辱が含まれてはいたものの、基本的には思想犯である少女たちの家族を弾圧する目的に沿って行われていたのだ。
 しかし、そのような行為の目的は容易に変貌を遂げていった。最初は、政治家のスキャンダルを付け狙う記者や、政治家を批判する学者たちの美しい妹や娘が拉致され、ラフレシア島で惨い性拷問と陵辱を受けるようになった。そして、次には政治家同士の争いにも利用されるようになり、政敵の幼い娘をラフレシア島に連行し、拷問陵辱し、その様子を相手に見せつけることで政敵を失脚させるようなことまで行われるようになっていった。
 そして、終戦間際になると、混乱した世相に乗じ、町で見かけた美しい少女をいきなり逮捕し、ラフレシア島の強制収容所に連行する特高の刑事まで現れるようになった。彼らは拉致してきた幼い少女たちを拷問にかけ、無実の罪を自白させ、その後は思想矯正に名を借りた、己の欲望を満たすためだけの性拷問や過酷な陵辱に打ち興じるのだった。
 最も酷いケースとしては、集団疎開することになった女学校の生徒たちが、いつの間にか全てラフレシア島に連行されたこともあった。幼い女生徒たちは、集団で性拷問に泣き叫び、恥辱と苦痛にまみれ、女に生まれたことを恨みながら、次々と幼い命を散らしていくのだった。
 そして、終戦。
 石井四郎は片腕であった内藤良一らと図り、それまでの医学的研究成果の全てと、終戦当時に生き延びていた少女たち全員をGHQ(連合国軍総司令部)に差し出すことで、自らを含め、防疫給水部に関わった者全ての戦犯としての追求を逃れた。哀れな少女たちは、日本の敗戦によっても誰一人として解放されることはなく、今度はGHQの中核を成す米国軍の兵士らによって、凄惨な性拷問や輪姦を受け、恥辱とおぞましい苦痛の中でその幼い命を落としていった。
 ラフレシア島は戦後しばらく米軍の管理下に置かれたが、1953年、奄美諸島が米国政府から返還されるのと同時に日本に復帰した。
 そして10年、防疫給水部に関わりのある現在の理事長を含む理事たちにより、1963年、聖ラフレシア女学院の創立が宣言された。
 
 
 「うわあああーっ。島が見えてきたーっ。ほら、あれえーっ。祐子、見えるよねえーっ。きれいな校舎あーっ。見てえっ、時計台まであるよーっ。」
 「そんなに大きな声出さなくても見えてるわよっ。もうっ、弘美ったら。本当にきれいねっ。あそこで、私たち、6年間を過ごすんだあっ。」
 木原弘美と向井祐子、そして、今年、聖ラフレシア女学院に入学する新入生10人の、計12名と学園の職員3名を載せたヘリコプターは、ようやく学園の姿が見える距離にまで来ていた。ここまで来るのに、東京のヘリポートを出発してから5時間かかっている。
 ヘリコプターの窓から見える学園の建物は荘厳で美しかった。緑に覆われた小さな島の中央よりやや手前付近に、白亜の壁と赤い屋根で覆われた校舎が見えている。その中央付近には白い豪壮な時計台が聳えていた。校舎の周りはよく手入れの行き届いた庭園が開けており、校舎の右隣には体育館と思しき大きな建物が建っている。庭園を挟んだ手前には、プールとテニスコート、そして広いグラウンドが併設されていて、テレビなどでたまに紹介される、外国の上流階級向けの全寮制寄宿学校を連想させるものがあった。
 また、ヘリコプターに同乗した学園職員の説明によると、今見えているのはこれから弘美たちが学ぶ中等部で、島の裏側に高等部の建物があるとのことだった。
 
 
 1月20日の最終選考が終わり、期待と不安に頭を悩ませる弘美のもとに、聖ラフレシア女学院からの封書が届いたのは、2月の半ばだった。緊張の趣で封を開けた弘美の目に映ったのは、赤く大きな文字で印刷された合格の二文字だった。緊張と不安に胸をどきどきさせていた弘美は、その二文字を見ると、安堵のあまり、喜ぶより先に力が抜けてしまい、へなへなとしゃがみ込んでしまうほどだった。
 聖ラフレシア女学院の合格を知った両親と弟はもちろん喜んでくれた。しかし、無邪気に喜ぶ弟の浩樹とは違い、弘美の両親の彰典と良美は愛娘の受験合格に喜びつつも、飛び上がって浮かれている弘美に気付かれないようにお互いに目を合わせ、ため息をつくのだった。
 そう、弘美は合格の嬉しさに忘れてしまっていたのだ。聖ラフレシア女学院に入学すると、両親や弟、その他の親しい人も含め、6年間は会うことはおろか、連絡することさえできなくなるということを。
 翌日、小学校に登校した弘美は、親友である原田裕子も合格したことを知り、欣喜躍如した。昨日、合格通知が届いたときには何も考えず大喜びしたのだが、時間が経ち、段々と頭が冷静になってくるに連れ、聖ラフレシア女学院に入学すれば、両親はもちろん親しい友達とも6年間会えなくなるんだということに気が付き、少し悲しい気持ちになっていたのだ
 もちろん、そうなるということは分かった上で受験していたのだが、聖ラフレシア女学院の受験倍率を考えると、それまで現実の感覚では捉えられていなかった。聖ラフレシア女学院への入学が現実のものとなってくると、それまで感じていなかった寂寥感が一気に襲ってきて、さしもの楽天的な弘美も、不安に苛まれざるを得なかったのだ。
 それだけに、親友である裕子の合格を聞いたときの弘美の喜びは凄まじかった。大声を上げて万歳し、そこら中を飛び跳ねたものだから、さすがに親友である美希と久美子、そして裕子にもたしなめられるほどだった。
 現金なもので、裕子も一緒に聖ラフレシア女学院に入学するのだと思うと、それまで感じていた不安や寂しさは一気に消え去り、弘美はいつもの闊達さを取り戻した。そして、家に帰ってからも、従来の明るさを取り戻し、両親にもいつにも増して元気な様子を見せたため、彰典と良美は多少あきれながらも、聖ラフレシア女学院への入学は弘美にとってはためになることだと思い、あきらめるのだった。
 しかし、この時点で、弘美は聖ラフレシア女学院に合格したということを告げる裕子の表情が、かすかに曇っていたことに気付いていなかった。
 それからの弘美は入学の準備に余念がなかった。憧れの佐藤瑞希議員の母校に入学できるのだ。それも親友である裕子と一緒に。生活の準備もそうだが、学園では熾烈な勉学のレベルが要求されるはずである。だから、そのための予習も欠かさず、読書や中学の問題集に取り組んだ。
 そんな弘美に、裕子が大事な話があると言って来たのは、卒業式の前日だった。裕子は聖ラフレシア女学院への入学を断ったというのだ。驚天動地の事実を聞かされ、驚く弘美に裕子は理由を語った。
 裕子の母親の体調が悪く、どうやら入院が必要であるらしいのだ。それも、入院したからといってすぐに良くなるような病気ではなく、長期的な入院治療が必要であるらしい。裕子の家庭は、母一人、子一人の母子家庭であり、親しい親戚も近くにはいない。母親が師範を勤めている日舞の家元は親しく、いろいろと相談にも乗ってくれるし、様々な形で援助もしてくれているらしいのだが、その人に全てを任してしまうわけにもいかない。そんな状況で裕子一人が聖ラフレシア女学院に入学し、6年間も母親の元を離れるわけにはいかない、ということだった。
 そういう話を聞いて、なお裕子に一緒に入学して欲しいと言う事はできない。裕子は弘美に早く話さなければと思いながらも、裕子と一緒に学園に入学できると思い込んで喜んでいる弘美の顔を見ると、どうしても打ち明けられなかったということだった。話す裕子も、聞く弘美もぽろぽろと涙を流しながら、抱き合うだけだった。
 小学校の卒業式が終了し、聖ラフレシア女学院に行くまでの間、弘美は、昼間は仲良し四人組と遊び、夜は両親に存分に甘えた。あまりに幼い子供のように甘える弘美に、弟の浩樹が嫉妬して文句を言うほどだったが、6年間も会えないのだ。彰典と良美は浩樹をなだめながらも、弘美との残り少ない時間を密接に過ごした。
 それでも、一緒に入学できると思い込んでいた裕子が、実は入学できないと知った弘美は、夜ベッドに入ると、突然、寂しさに襲われ、枕を涙で濡らすこともあった。
 そんな弘美の表情が明るく輝いたのは、聖ラフレシア女学院に赴く日の朝、空港に集合した入学生の中に、最終選考で仲良くなった、向井祐子の姿を見たときだった。祐子も当然だが親しい人との別れに寂しさを感じていたのだろう、弘美の姿を見るとお互いに走りより、両手を掴んで思わず涙が出るほど喜び合った。
 新入生は全員で24人のはずだが、その日に空港に集合した新入生は10人だった。残りの新入生は、その前日にラフレシア島に行ったとのことだった。そして、新入生10人と、学園の職員3人をのせた、聖ラフレシア女学院がチャーターしたヘリコプターは、東京のヘリポートを離陸し、一路ラフレシア島を目指して空の長旅に飛び立った。
 
 
 ヘリコプターから降り、間近に見た聖ラフレシア女学院中等部の校舎は美しかった。広大な敷地に建つ赤い屋根の校舎も白い時計台も、その前面に広がる良く手入れされた庭園も、広いグラウンドやテニスコート、プールなどのスポーツ施設も、全てが少女たちの想像以上に素晴らしかった。これからの6年間の学園生活を、こんなにも豪華で設備の整った校舎で過ごせるのかと考えただけで、初めて親元を離れる不安も吹き飛ぶほどだった。
 新たに入学する少女たちが案内されたのは、校舎から100メートルほど離れた庭園の中にある3階建ての寮だった。寮の1階には、広いロビーと、食堂、大浴場、娯楽室、医務室などがあり、その他に、管理人室や、寮監の先生の部屋、医務室に勤める医師の部屋などが設えられていた。そして、2階と3階が女学生たちの私室で、2階は3年生と留学生や、たまに来るお客様の部屋に、3階は2年生と1年生の部屋に割り当てられていた。全て個室で、机やベッド、テレビやパソコン、エアコンなどの電化製品がそれぞれに備え付けられており、それだけではなくシャワー室までそれぞれの部屋に完備されていた。
 庶民感覚の少女たちにしてみれば驚くほど設備の整った寮で、新入生たちを待っていたのは、ごま塩のような白髪の混じった頭の、しかし背筋のピンと伸びた、いかにも厳しく教育された昔ながらの執事さんという風情を漂わせる初老の寮監と、医務室を管理する女性医師だった。
 その女性医師は、最終選考で身体検査を担当していた女性だった。最終選考のときと変わらず、ぼさっとしたまとまりのない髪に、野暮ったい大きな眼鏡をかけている。180センチに近い長身をよれよれの白衣で覆い、地味で冴えない印象は最終選考のときと全く変わらなかった。そして唯一、真っ赤に塗られた唇だけが地味ななりとアンバランスに、大人の女性らしさを主張していた。
 新入生たちを迎えた二人の大人の、優しそうな笑顔と親切な応対は、親元を離れて見知らぬ土地にやってきた12才の少女たちの不安を取り除き、新生活への期待に変えるのに十分だった。簡単に寮のルールを説明された後、寮監に個室まで案内された少女たちは、皆一様に安心し、明日からの入学式と、それに続く学園生活への期待に胸を膨らませるのだった。
 
 
 弘美や祐子たちがラフレシア島に着いた翌日、聖ラフレシア女学院の入学式が行われた。弘美たちは、それぞれの私室に、学園により用意された聖ラフレシア女学院の制服に手を通し、入学式に臨んだ。聖ラフレシア女学院の制服は、胸ポケットに真っ赤なラフレシアの花が刺繍された純白のブレザーに、赤を基調とするタータンチェックのスカート、胸元には赤いリボンをつけ、頭にはこれまた真っ赤なベレー帽という装いだった。弘美たち新入生は、新しい制服に身を包み、希望に満ち溢れた笑顔で入学式の会場に向かった。
 入学式の会場は、体育館と隣接した、教会のような広く荘厳な建物の中の大きなホールだった。入学式や卒業式のような重要な行事はこの建物で行われるとのことだ。屋根は高く、窓にはステンドグラスが貼られている。美しさの中にも、何か宗教的な荘厳さを備えた建築物だった。正面には一段高くなった床に壇が設けられており、壇の後ろの壁には、3つの旗が掛けられていた。中二階に当たる箇所にはパイプオルガンが設置され、弘美たち新入生が入場したときには静かな美しい音楽が演奏されていた。
 正面に向かって壇の右側には学園長を初めとする12人の理事が座り、その後ろに学園の教師、職員たちが控えていた。その逆側には貴賓席が設えられ、高級なスーツに身を包んだ、50人ほどの見るからに立派な肩書きや身分を持っていそうな人物たちが腰を下ろしている。その中には女性も数名混じっていた。
 そして、壇から10メートルほど離れて、8脚ずつ3列に椅子が並んでおり、それが弘美たち新入生の席だった。その後ろに、新入生の右後ろに2年生24人が、左後ろに3年生24人が、それぞれ新入生と同じく8人ずつ3列で並んで椅子に着席していた。
 2年生や3年生の女生徒たちは、ぱっと見ただけでも、全員が思わず見とれてしまうような美しい少女ばかりだった。もちろん、新入生も上級生に勝るとも劣らない美少女ぞろいなのだが、この次期の少女の1年間の差は大きい。弘美の目から見て、2年生や3年生の上級生の少女たちは、弘美たち新入生に比べて格段に女性らしく、魅力にあふれているように感じたのだ。
 その上級生たちの目前に、新入生たちが入場して着席し、聖ラフレシア女学院の入学式が始まった。開会の辞の後、理事長の挨拶が始まった。非常な老人に見えるのに、眼光は鋭く、背筋がピッと伸びた理事長が壇上に登り、入学を祝う挨拶を語り始めた。理事長の言葉は要約すると次のようなものだった。
 入学おめでとう。新入生諸君はこれから6年間をこの学園で過ごすことになる。この学園は非常に厳しい教育を実施している。場合によっては女生徒に対し体罰を加えることもある。その厳しさを実感し泣きたくなる時もあるだろう。しかし、安心して欲しい。学園は決して女生徒たちを見捨てることはしない。いかなる手段を用いても立派に教育し、卒業させて見せる。今までどうしても学園の教育についていけず、脱落したという女生徒はいない。そして、この学園を卒業するということは、すなわち超難関大学に入学するということであり、その後の人生における勝者になるということである。そして、この学園にはそのための豊富なカリキュラムと、優秀な教師陣が揃っている。安心して学園の教育に従って欲しい。
 弘美には、どちらかと言うとありふれた挨拶に思えた。しかし、必ず卒業させるし、卒業するということは、イコール超難関大学に入学するということである、と言い切るところが、聖ラフレシア女学院の凄まじい自信を表しているのかなあ、でも体罰を容認しているっていうのは嫌だなあ、などと感じながら聞いていた。
 それよりも、弘美には理事長の挨拶の間に気付いたちょっとしたことが気に掛かっていた。それは、壇の背後に掲げられている旗だ。普通は正面に日の丸が掲げられ、後はあっても学園の校旗が並べられるくらいだ。しかし、今、このホールの壇の背後には3枚の旗が掲げられていた。
 右端には日の丸が、左端にはラフレシアの花をモチーフとした聖ラフレシア女学院の校旗が掲げられている。しかし、その中央には、白無地に黒い墨書で『南無妙法蓮華経』と書かれた、ひときわ大きな旗が掲げられていたのだ。その文字は何か、見ようによっては髭がのたくっているような字体に見えた。
 弘美は、今まで知らなかったが、聖ラフレシア女学院はもしかしたら仏教的な学校だったのかなあ、などと考えつつ、理事長の挨拶を聞き流していたが、次の来賓祝辞になると、とたんに目を輝かせた。来賓代表は、弘美が憧れている議員の佐藤瑞希だったのだ。
 「女性は元始太陽でした。」
 さっそうと壇上に登った佐藤瑞希議員は、壇上の旗に一礼すると、この言葉から祝辞を述べ始めた。
 「女性は元始太陽でした。この言葉は、偉大な私たちの先達、かの平塚雷鳥先生のお言葉です。近代日本における、女性の社会進出と躍進は、平塚雷鳥先生のこのお言葉と同時に始まりました。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 近代国家が真に偉大な国家に脱皮するためには、二つの必要なキーワードがあります。それが、女性の社会進出と適正な競争社会の実現です。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 競争とは、忌避すべきものではありません。社会が発達し、優れた文化を享受していくために必須のものなのです。現今の教育評論家の中には、競争を否定し、全ての人間が平等であるべきだなどと戯言を言う輩がいますが、とんでもない話です。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 能力の優れた人物が、劣った人物と、同じ収入、同じ処遇を受けるは、真の公平ではなく、社会の発展もありえないのです。国民は、性によって差別されるべきではありません、その能力によって区別されるべきなのです。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 私はこれまで女性の社会的立場の向上と、日本の社会の発展のために尽力してきました。同様の志を持つ皆さんがこの聖ラフレシア女学院に入学していただけることを心強く、嬉しく思います。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 しかし、日本の社会はまだまだ男尊女卑の傾向が強く残った社会です。女性が公正に評価され、その能力に応じた活躍をするには、様々な障害が残っています。それらの障害を乗り越えるためには我々女性は強くならなければなりません。
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 女性が強くなるためには、女性であることを認識し強化しなければならず、しかし、ある意味、女性であることを捨てなければなりません。これは、非常に難しいことで、今のあなたたちでは理解できないでしょう。しかし、この学園の素晴らしい教育で、卒業するまでに皆さんはそれを理解し、体得してもらえるものと信じています。
 ・・・・・・
 ・・・・・・。」
 佐藤瑞希の祝辞を、弘美は陶酔しながら聞いていた。女性が強くなるためには、女性であることを認識し強化しなければならず、しかし、女性であることを捨てなければならない。という言葉は理解できなかったが、佐藤瑞希議員が言うのだから間違いない。そして、この学園で一所懸命に勉強すれば、それが分かり、佐藤瑞希議員に近づけるのだ。弘美は決意を新たにして、充実した学園生活を送ろうと、心の中で自分自身に誓っていた。
 入学式の式次第は粛々と進行していった。クラス割と担任の紹介があり、弘美と祐子は同じクラスであった。弘美は、表面上は何気ない様子を装っていたが、心の中でやったーと喜んだ。
 
 
 しかし、学園の戦慄すべき本性がその姿を垣間見せるのは、それからだった。
 「引き続きまして、昨年度、成績最劣等生徒の公開お仕置きを行います。」
 その坦々としたアナウンスを聞いたとき、初め弘美は何のことか理解できなかった。周りの新入生の少女たちも何のことか分からないのだろう、お互いに顔を見合わせ、きょとんとしている。それと対照的に、上級生たちの顔は強張り、暗く打ち沈み、唇をぎゅっと噛み締めている少女も少なからず存在した。
 「三年生最劣等生徒、小野由美、二年生最劣等生徒、東更希子、両名は前に出るように。」
 次のアナウンスに、呼ばれた二人なのだろう、二年生の列の最前列右端に立っていた女生徒と、三年生の列の最前列左端に立っていた生徒が、立ち上がり、表情を強張らせたまま新入生たちよりも前に出てきた。二人の少女は、ホールの前部、壇の前で弘美たちのほうを向いて並び、直立した。
 二人とも、タイプは違うがどちらも美しい少女だった。三年生の小野由美という少女は、丸顔で見るからにふくよかな身体を持つ女生徒だった。ふくよかとは言っても、もちろん太っているということではない。適度に肉の付いた頬と、制服の上からでも中学三年生にしてはよく成長していると思わせる、女性らしく膨らんだ胸と臀部が印象的で、芸能界にスカウトされても決して驚くには当たらないだろうと思わせるような美しい少女だった。
 もう一人、二年生の東更希子という少女は、由美とは対照的にボーイッシュな魅力にあふれる美少女だった。中学二年生にもかかわらず背は170センチに届こうかという長身で、何か運動をしていたのであろう、スカートから突き出ている太腿には適度な筋肉が付いており、躍動感あふれる体型だった。少し細めの瞳と、ショートカットにした黒髪が良く似合う、美少女アスリートという表現がぴったりの少女だった。
 その二人の美少女が、今、弘美たち新入生の目の前で横に並び、気を付けの姿勢で直立している。その顔は心なしか蒼ざめ、緊張と恐怖に細かく震えているようだ。
 そこに一人の男性教師と思われる異様な格好の人物が、由美と更希子の背後から現れた。その教師は、身長180cmを超える筋骨隆々とした大男で、黒いスーツに身を包み、右手には一本の竹刀を携えていた。しかし、その男の最も異様な点は、顔の上半分を黒いマスクで覆っていたことである。そのマスクは鬼を連想させる形をしており、マスクに空いた二つの穴からは、冷酷な目が二人の成績劣等生を、そして弘美たち新入生を圧倒し、見定めるかのごとく見つめていた。
 「新入生の諸君、私は当学園の筆頭仕置き教師である横澤兵衛だ。大志を抱く諸君らの入学を歓迎する。だが、この聖ラフレシア女学院はそう甘い学校ではない。確かに、この学園を無事に卒業すれば、超難関大学への進学と同時に、日本の、いや、世界の上級社交界へのデビューが約束されたようなものだ。しかし、それには血の滲むような努力が要求されるのだ。
 中には、残念なことだが途中で挫折し、成績が劣等になるだけではなく、学園の風紀まで乱す存在になってしまう、腐った林檎的な女生徒も少なくない。だが、聖ラフレシア女学院は決してそれら挫折した女生徒を見捨てることはない。いかに学業に落ちこぼれた女性とでも、いかに淫乱で学園の風紀を乱す女生徒でも、必ず全うな正道に立ち返らせ、無事に卒業に導いていくことを約束する。
 だが、それには時には厳しい教育が必要であり、その最たるものが、私の管轄する『お仕置き』である。人によっては行き過ぎだと思う者もいるかも知れない。しかし、お仕置きはあくまで学園の諸君らに対する愛の鞭であるのだ。諸君らは我々がお仕置きすべきと判断した場合には、甘んじてお仕置きを受け、学生の正道に立ち返り、もって学業の成就を全うするように期待する。
 それでは、その当学園の愛の鞭である『お仕置き』を知ってもらうために、昨年度の成績最劣等生徒の公開お仕置きを執り行うこととする。この二人、小野由美と東更希子は、昨年度の成績が最も劣等であったのみならず、風紀的にも看過することかなわないほど淫らな行為に耽っていたことが発覚した女生徒である。
 12才と幼い新入生の諸君にはまだ理解し難いかも知れないが、女子生徒は思春期を迎えると、中には必ず性への関心を過度に持ってしまい、淫らな行為に耽る輩が出てくるものなのだ。そして、そういう淫乱な輩は必ず成績が落ち、学園のカリキュラムからも落ちこぼれてしまうことになるのだ。
 この二人は、まさにそういう煩悩にはまり込み、色欲を抑えることができなくなった、哀れな女生徒である。この二人を学生の正道に立ち返らせるため、本日は非常に厳しい、新入生諸君らにとっては、過酷と感じるほどのお仕置きが実施されることになる。
 だが、決して目を背けないで欲しい。勇気を持って諸君らの先輩へのお仕置きを見届けて欲しいのだ。なお、途中で目を閉じたり、目を逸らしたりした者に関しては、後ほどそれなりのお仕置きが行われることになっている。新入生諸君の中に、そのような惰弱な精神の持ち主が一人もいないことを期待している。
 また、ご来賓の方々に対しましては、これよりお見苦しいお仕置き光景をお見せすることになりますことを、心よりお詫び申し上げます。ですが、ご来賓の皆様は、女生徒たちの健全な発達を心から願っておられる方々ばかりでございます。なにとぞ、惻隠の情を持ちまして、この二人、小野由美と東更希子のお仕置きを温かい心でお見届けくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
 それでは、ただいまより小野由美、東更希子に対する公開お仕置きを開始させていただきます。
 さあ、小野由美、東更希子、制服を脱ぐんだ。服を脱いで裸になれ。」
 一瞬、弘美は自分の耳を疑った。先生が目の前の上級生たちに向かって裸になれと言ったように聞こえたのだ。こんな公の場で、教師や来賓の男性もいる中で、女生徒に裸になれという訳がない。弘美は頭の中で常識的にそう考えた。
 しかし、目の前で躊躇する二人の少女に苛立つように、横澤兵衛が手に持った竹刀をホールの床に叩き付けると、由美と更希子はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと制服を脱ぎ始めた。白色のブレザーを脱ぎ、スカートを下ろす。ブラウスのボタンを一つずつ外していき、ブラウスを脱いでいく。
 ブラウスの前をはだけ、純白のブラジャーがあらわになったところで、あまりの羞恥に更希子の手が止まった。ブラウスの合わせ目を両手で掴んだまま、手をブルブルと震わせている。それも無理はない。13才の少女に、男性も大勢混じった100人以上もの人の前で裸になるというのは、あまりに過酷な仕打ちだった。
 「ひいいぃぃーっ・・・。」
 手が止まった更希子の臀部に、すかさず兵衛の竹刀が打ち込まれた。大きな音が弾け、更希子は思わず前のめりになった。更希子の顔が苦痛に歪み、瞳から涙がこぼれる。
 たたらを踏んで立ち止まった更希子は、あきらめたように手を動かし始め、ブラウスを脱ぎ去った。更希子の純白のブラジャーとパンティがホールにいる全員の眼前に曝された。すでに由美もブラジャーとパンティ、そしてソックスだけの半裸になっている。
 二人の上級生は美しかった。下着だけの半裸の姿を大勢の人の目に曝し、羞恥に震えながら手を胸の前で組み、できるだけ身体を隠すように身をよじる二人の美少女の姿は、学園のホールに集った嗜虐の男女の欲望を刺激し、昂ぶらせるのに十分だった。
 由美の胸は、ブラジャーの上からでも、中学三年生とは思えないほど豊かな膨らみを見せている。それでも腰は見事なくびれを具備しており、そこから臀部にかけてのラインは女性らしい優雅に膨らんだ曲線を有していた。
 一方、中学二年生の更希子は、170センチ近い長身を屈め、手で幼い身体の前面を隠そうとしていた。だが、運動選手らしく引き締まったウエスト、大臀筋の発達した形よく盛り上った臀部、筋肉が付いていながらすらっと伸びた両脚は隠しようがなく、幼く美しい身体を左右に捻りながら羞恥に悶えていた。
 弘美は眼前で展開される光景が信じられず、ぽかんと口を開け、ほうけたような表情で由美と更希子の脱衣ショーを眺めていた。周りの新入生たちも同様で、誰もが驚きを顔に浮かべ、眼前のお仕置き光景を見ながら、どうしようかと周りを見回していた。
 しかし、もちろん、聖ラフレシア女学院のお仕置きはこれくらいで終わることはありえない。
 聖ラフレシア女学院の新入生に対する初めての洗礼が、本格的に始まろうとしていた。
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